2015-06-14

Difang(ディファン/郭英男)の衝撃


 ・Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝
ディープ・フォレスト~ソロモン諸島の子守唄

 最近知ったエニグマのヒット曲「リターン・トゥ・イノセンス」のコーラスが耳に引っかかった。順を追って説明しよう。エニグマは元アラベスクのサンドラ・アン・ラウアーと元夫の二人が中心となって結成したバンドらしい。では懐かしいので1曲紹介しよう。真ん中のリードボーカルがサンドラである。


 このまったりしたダンスが当時は斬新であった。私が中学の頃だ。で、エニグマである。動画の出来が素晴らしいのでロングバージョンも併せて紹介する。出だしの男性コーラスに注目せよ。




 最初の動画が公式動画と思われるが、「リターン・トゥ・イノセンス」(無垢に還れ)のイノセンスには「無罪」という意味もあり、ユニコーン(一角獣)の角には「蛇などの毒で汚された水を清める力がある」とされる(Wikipedia)。時間軸を反転させているのは、熱力学第二法則に反してエントロピーが減少する世界を示す。生老病死を逆転させ老いから生へと向かうベクトルは創世記を目指したものだろう。

 Wikipediaによれば「この『リターン・トゥ・イノセンス』については、サンプリング元の音源になった台湾アミ族の歌い手であるDifang(郭英男)らに、1998年、音源の無断使用につき訴訟を提訴され」、後にロイヤリティを支払うことで和解したとのこと。こうして私は「Difang(郭英男)」の名を知った。当初はモンゴル人かインディアンだと思っていたのだが実は台湾先住民であった。

 モンゴルといえばホーミーである


 この番組でホーミーを知った時、「ああ、ここから浪曲に至るわけだ」と日本のダミ声ミュージックに初めて得心がいった。もちろんアジアの歌はアリューシャン列島を渡ったインディアンにも伝わる。


 今の日本で対抗できるのは竹原ピストルくらいしか思い浮かばない。




 Difang(ディファン/郭英男)の衝撃に私はたじろいでいる。何がこれほど心を揺さぶるのか。なぜ涙が込み上げてくるのか。




 更なる共通項を探せば縄文時代にまで行き当たる。


歌詞

 これらの歌に流れているのはモンゴロイドの民俗宗教的感情なのだろう。更にツイッターで関連情報を教えてもらった。


 人生は驚きに満ちている。Difangの「酒飲む老人の歌」は私が聴いてきた音楽の中で頂点に位置する。

Difangの歌声~Voice of Life Difang(CD+DVD)The World of Difang

アミス台湾先住民の音楽

西尾幹二


 1冊読了。

 67、68冊目『決定版 国民の歴史(上)』『決定版 国民の歴史(下)』西尾幹二(文春文庫、2009年/旧版は西尾著・新しい歴史教科書をつくる会編、産経新聞社、1999年)/少し前に挫けたのだが意を決して再び開いた。一気に読んだ。ハードカバーだと800ページ弱の大冊である。読み物としては『逝きし世の面影』に軍配が上がるが、衝撃の度合いからすればやはり本書を今年の1位に繰り上げるべきだろう。菅沼光弘を通して私は日本の近代史に眼を開いたわけだが、それ以降読み続けてきた近代史本の頂点といっても過言ではない。私は昭和38年(1963年)生まれで後に新人類と呼ばれた世代だ。もちろん東京裁判史観に基づく戦後教育の洗礼を受けてきた。しかも道産子である。日教組が強い教育環境で、更には土地や先祖への思いが内地に比べると薄い風土で育った。祭りといえば出店を意味し、天皇陛下とも無縁であった。10代で本多勝一を読み、つい数年前までリベラルを気取っていた。西尾幹二や中西輝政など嫌悪の対象以外の何ものでもなかった。保守論客は皆傲岸に見えた。そして保守派に与(くみ)する人々にはあまり知性が感じられなかった。これは現在でもそうだ。チャンネル桜を見れば、相手を決めつけ、冷笑する態度がそこかしこに見受けられる。愛国心が黒く見えてしまうのは右翼的暴力性が滲みでているためだろう。生前の三島由紀夫が西尾に注目し高く評価していたという。私は中西輝政にはイデオロギーを感じるが西尾には感じない。西尾は人間として誠実だ。ふと思い立って西尾の動画を探した。西尾は決して議論が巧みとはいえない。相手と目も合わさないところに軽度の自閉傾向が窺える。前にも書いた通り、私が西尾を見直したのは反原発に転じた時であった。君子は豹変し、小人は面を革(あらた)む。同じく推進派から反対派に回った武田邦彦も私は尊敬する。彼らは学問に忠実なのだ。イデオロギーや特定集団の意向とは無縁だ。『国民の歴史』は日本国民が知らねばならない「白人の歴史」でもある。マッカーサーはキリスト教の布教には失敗したが、日本から愛国心を奪うことには成功した。戦後、GHQに加担したのは官僚を始め、マスコミ、学者、そして左翼であった。亡国の徒輩は今ものうのうと国益を棄損し続けている。現在の日本に必要なのは志士を育てる私塾であろう。形は違えども吉田松陰や緒方洪庵と同じものを西尾は見つめているのだろう。

2015-06-11

星野洋平、西尾幹二、中西輝政、杉浦日向子、他


 1冊挫折、3冊読了。

夏姫春秋』宮城谷昌光(海越出版社、1991年/講談社文庫、1995年)/「かいえつしゅっぱんしゃ」は中京地区のローカル出版社で宮城谷昌光を世に送り出したことで知られる。惜しいことに1999年、自己破産した。本書は直木賞受賞作である。一度読んでいるのだが何と二度目で挫けた。冒頭の近親相姦の生臭さに耐え切れず。しかも40ページほど読む中でこれといって目を惹く文章がなかった。初めて読んだ宮城谷作品だけに思い入れがあったのだが。

 64冊目『江戸へようこそ』杉浦日向子〈すぎうら・ひなこ〉(筑摩書房、1986年/ちくま文庫、1989年)/傑作『お江戸でござる』はリライト作品っぽいので本人の著作に当たった。吉原の章を途中ですっ飛ばし、中島梓との対談を読んだところ、これがまた面白いの何のって。そこで再び吉原の続きから読み直す羽目に。岡本螢との対談以外はほぼ完璧といってよい。杉浦の文章はムダがなくわかりやすい。学界の不毛な論理とは無縁である。尚、文庫版の泉麻人による「解説」は破り捨てるべき代物で、バブル期の売れっ子コラムニストの下衆ぶりが露呈している。

 65冊目『日本文明の主張 『国民の歴史』の衝撃』西尾幹二、中西輝政(PHP研究所、2000年)/一気読み。初顔合わせだという。見識の高い対談だ。中西は遠慮するところがない。西尾の学者としての誠実さを私が知ったのは彼が反原発に転じた時だった。本書を通してそれは確信に変わった。西尾は人間として誠実である。順序は逆となってしまったが一度挫けた『国民の歴史』も何とか半分ほど読み終えたところ。喧しい中西が「『国民の歴史』は、日本人の歴史・文明意識がそうした新しい方向に変わるための『覚醒の書』であったと後世評される可能性は十分ある」と絶賛している。また中西の「日蓮宗は新しいかたちの神道ではないか」との仮説が目を惹いた。吉野作造批判に関しては中西著『国民の文明史』の方が詳しいようだ。

 66冊目『芸能人はなぜ干されるのか? 芸能界独占禁止法違反』星野洋平(鹿砦社、2014年)/話題の本である。四六版より一回り大きいA5判サイズ(実際は横が2mm大きい)で上下二段。よく2000円以下に抑えたものだ。一部飛ばし読み。株式会社バーニングプロダクションの周防郁雄〈すほう・いくお〉社長を取り上げている。北野誠謹慎事件を知る人であれば星野洋平の勇気に注目せざるを得ない。内容は極めてオーソドックスなノンフィクションであり、資料も充実している。韓国は日本よりも酷い情況で、アメリカは組合を結成することでタレントの権利が保障されている。個人的には法学部に通う大学生諸君に読んで欲しいと思う。芸能人とプロダクションとの契約内容を徹底的に批判することで電波の私物化を回避することができると考える。本書で紹介されていた「大日本新政會」のサイトは知らなかった。

2015-06-08

一夜賢者の偈

『スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳』荒牧典俊、本庄良文、榎本文雄訳(講談社学術文庫、2015年)

スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫)

 かくしてひとり離れて修行し歩くがよい、あたかも一角の犀そっくりになって――。『法句経(ダンマパダ)』とともに原始仏典の中でも最古層とされる『スッタニパータ』。最初期の仏教思想と展開を今に伝えるこの経典は、釈尊に直結する教説がまとめられ、師の教えに導かれた弟子たちが簡素な生活のなかで修行に励み、解脱への道を歩む姿が描き出される珠玉の詞華集である。2400年前の金口直説を平易な現代語で読む。