2015-02-21

ロバート・ラドラム、馬渕睦夫、池田清彦、養老孟司


 4冊読了。

 11、12冊目『狂気のモザイク(上)』『狂気のモザイク(下)』ロバート・ラドラム:山本光伸訳(新潮文庫、1985年)/琴似駅(札幌市)の隣りにあった三省堂で買ったはずだ。あれから30年も経つのか。これは多分4度目である。前作『暗殺者』は「追われる者」が「追う者」へと変貌する物語であった。本書は逆のパターンになっているが決して焼き直しで終わっていない。追う者がマイケル・ハブロックで、追われる者はかつての恋人でソ連に寝返ったジェンナ・カラス。物語は彼女の殺害シーンから始まる。失意の果てにハブロックはCIAを去る。ところがローマの駅で死んだはずのジェンナ・カラスを目撃する。『暗殺者』よりも構成が複雑な分だけ面白い。ただし主役の二人はやはり個性を欠いて平板。これはラドラムが舞台の仕事をしていたことに起因するものだと思う。つまりプロット(筋書き)優先。一方、脇役は粒揃いだ。かつてレジスタンスの女闘士であったレジーヌ・ブルーサックが特に素晴らしい。これは多分あと何度か読むことになるだろう。

 13冊目『国難の正体 世界最終戦争へのカウントダウン』馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(総和社、2012年/新装版、ビジネス社、2014年)/馬淵の著書は以前から目に止まっていたのだが、ずっと民主党の代議士だと思っていた(笑)。因みに政治家の方は「馬淵」である。菅沼光弘とほぼ同じ主張である。総和社版を読んだのだが、まあ編集が杜撰だ。編集していない可能性すらある。言葉の重複が目立ち、文章もちょっとあやふやなところがある。序盤でやめようかと思ったほど。が、中盤からギアが入る。やや結論への導き方が強引だが、日本人の目を覚醒させるだけの迫力がある。ロシアとの友好を説くところまで菅沼と一致している。菅沼・馬淵・孫崎享・佐藤優で動画鼎談を行えば、佐藤の正体が判明するのではあるまいか。

 14冊目『正義で地球は救えない』池田清彦、養老孟司〈ようろう・たけし〉(新潮社、2008年)/文庫化されていないところを見るとまだ売れているのだろう。この二人は本当に頭がよい。前半は「ニセモノの環境問題」というテーマのエッセイで、後半には養老との対談が収録されている。合理的思考の教科書といってよい。科学的視座の鋭さに脱帽。準必読書。

2015-02-20

目的は手段の中にある/『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一


世界中の教育は失敗した
手段と目的
理想を否定せよ
創造的少数者=アウトサイダー
公教育は災いである
日本に宗教は必要ですか?
・目的は手段の中にある

 間違った手段はけっして正しい目的をもたらすことはできません。目的は手段の中にあるからです。

【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】

 LSD(幻覚剤)を服用すると悟りとほぼ同じ状態が現れる。側頭葉が活性化するのだ。


 1960年代前半までアメリカではLSDを取り締まる法律がなかった。ヒッピーによって1960年代半ばから始まるサイケデリック・ムーブメントは薬物から生まれたものだ。

 1960年代のロック・ミュージシャンの中には瞑想、ヨガ、ボディ・ビルを始めた人たちが多い。それにも理由がある。それは朝早く起きて、食生活に気を使いながら、坐禅、瞑想、呼吸法などをやると、ドラッグより求めていた同じ効果をよりコントロールした状態で得られると気が付いたからだ。

Ayuo.net 「何故1960年代のドラッグが無意味になったか。」

 クリシュナムルティは時折、嘲笑うかのように「LSDですか?」と言う。また、「“それ”をどうやって手に入れますか? お金を払いますか?」とも聴衆に訊ねる。たった今気づいたのだが、クリシュナムルティは「瞑想せよ」とは言ったことがない。どちらかというと「生そのものを瞑想の次元にまで深化させよ」とのメッセージ性が強い(『瞑想』J・クリシュナムルティ)。

 目的と手段が一致しないところに現代社会の不幸があるのだろう。クリシュナムルティの論理に従えば戦争を正当化することは不可能だ。「他人を殺す」という手段が正しくないのは明らかだ。

 バラ色の理想を示して人々に苦労を強いるのが指導者の役割である。そして苦役の果てに不毛な結果が待ち受けている。我々は皆が労働者であり兵士なのだ。一将功成りて万骨枯る。

 ブッダはテキストを否定した。彼が経典を書くことはなかった。クリシュナムルティは弟子をも否定し、「方法」をも否定した。「方法」を修行と戒律と言い換えてもよいだろう。元々は「行為を修める」のが修行の謂(いい)であるが、修行が規定化されると単なる義務の次元に堕してしまう。掃除や洗濯のレベルだ。

 瞑想をするから悟れるのか? 多分違うだろう。注意力が漲(みなぎ)るところに悟りの地平が現れるのだ。つまり瞑想は手段に過ぎない。

 人生とは不思議なもので「死ぬために生きている」ような節(ふし)がある。我々は「常に死につつある」のだ。その現実から目を背けて日常の中に没頭している。「今死ぬ」となれば脳は一変するだろう。「」の訓読みは「くら-い」である。「暗い」と同じ意味だ。そして「死」という意味もある。すなわち瞑想とは「今死ぬ」ことである。

 検索して初めて知ったのだが、「『冥福』という言葉はキリスト教や浄土真宗で使ってはいけない」(「ご冥福をお祈りします」の意味と正しい使い方)そうだ。

クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性

2015-02-19

「愛」という言葉/『未来の生』J・クリシュナムルティ


恐怖なき教育
・「愛」という言葉

「愛」という言葉は愛ではない。

【『未来の生』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1989年)】

 新しいキーボードが届いた。腱鞘炎の痛みをこらえて恐る恐る入力している。

「愛」という言葉は、「愛」を指し示しているが「愛」そのものではない。言葉の本質をたった一言で見事に射抜いている。言葉に基づく思考の欺瞞性もここにあるのだ。言葉はサインでありシンボルだ。当のものではない。

「慈悲」という言葉は慈悲ではないし、「悟り」という言葉も悟りそのものではない。


 行為を欠いた言葉は観念でしかない。仮想と言い換えてもよい。思考は仮想を現実化する。仮想現実(バーチャルリアリティ)とはインターネットやゲームを指して使われることが多いが、結局は「言葉と刺激」が支配する世界を意味する。

「愛」を言葉で説明することは可能だろうか? 愛の定義は果たして「愛」なのだろうか?

「悟り」もまた同様である。ニルヴァーナ(涅槃)に至ったブッダは真理(法)を説くことをためらう。「きっと誰一人理解する者はいないであろう」と。そこにこの世界を司る梵天(ブラフマー)が訪れ、説法を勧める。「梵天勧請」といわれる故事は、「悟りを言語化することの困難さ」を示したものだろう。私はクリシュナムルティの「プロセス」体験(『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス)を通してそのような理解に至った(『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティも参照せよ)。

 瞑想とは「言葉から離れ」「言葉を死なせる」行為である。思考のシャットダウンを行うことによって自我は解体され、新しい生の水脈が流れ通う。そこにしか真の現実(リアリティ)は存在しないのだろう。

未来の生

2015-02-16

「石を拾って」有罪のパレスチナ14歳少女、イスラエルが早期釈放


 イスラエルは13日、イスラエル人への攻撃を企てたとして6週間にわたって収監していたパレスチナ自治区の14歳の少女を釈放した。自治区の子どもを有罪とし、収監したことについて、イスラエルに対する怒りの声が上がっている。

 パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区(West Bank)のトルカレム(Tulkarem)で活動するAFPカメラマンによると、同地で釈放されたマラク・アルハティブ(Malak al-Khatib)さんは両親や親族、自治体の首長らの出迎えを受けた後、約40キロ離れた自宅のあるベイティン(Beitin)村に戻った。

 マラクさんは昨年12月31日に学校から帰宅する途中で身柄を拘束され、軍事裁判で禁錮2か月の刑が言い渡されたが、イスラエルで拘束されているパレスチナ人の代理人を務める非政府組織「パレスティニアン・プリズナーズ・クラブ(Palestinian Prisoners' Club)」によると、年齢を考慮して2週間ほど減刑され、13日に釈放されたという。

 起訴状によると、マラクさんは自宅のある村の近くでイスラエル人の入植者たちが運転していた複数の車に向かって投げ付けるため「石をひとつ拾った」ほか、身柄を拘束された場合に備え、保安要員を傷つけるための刃物を所持していたという。

 釈放後、マラクさんはAFPの取材に対し、すべての罪を否定した。

 イスラエルは西岸地区で毎年、およそ1000人の子どもの身柄を拘束している。人権団体「ディフェンス・フォー・チルドレン・インターナショナル・パレスタイン(Defence for Children International Palestine)」 によると、理由は投石である場合が多い。

 また、前出のプリズナーズ・クラブによれば、イスラエルで収監されているパレスチナ人の未成年者は推定200人。そのうち女子はわずか4人で、マラクさんは最年少だった。

 イスラエル軍の報道官はマラクさんが収監された当時、有罪判決の確定前、マラクさんには司法取引の機会が与えられたと述べていた。だが、マラクさんの父親は、自白した内容にはほとんど意味がないと話している。

 父親は苦々しく、「14歳の子どもがイスラエル兵に取り囲まれれば、何の罪でも認めてしまう」、「核兵器の保有だって認めさせることができるだろう」と語った。

AFP 2015年02月15日

2015-02-15

村上陽一郎


 1冊読了。

 10冊目『奇跡を考える 科学と宗教』村上陽一郎(講談社学術文庫、2014年/『叢書現代の宗教7 奇跡を考える』岩波書店、1996年)/良書。「キリスト教を知るための書籍」に追加。森島恒雄3部作の後で読み、岡崎勝世へと進むのがいいだろう。初めて村上の著書を開いたが文章がよい。ルネサンス期における魔術の受容はニュートンに至るまでの科学にまで影響を与えている。魔術と奇跡の間にカントという線を引いてわかりやすく説く。ややテクニカルな内容となっているが、ヨーロッパ人の脳の変化を知るためには避けて通れない地点であるように思う。脳科学や情報論的な視点を欠いているのが物足りなかったが、元の版が1996年ということもあって納得した次第。