2014-11-11

深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず/『奇貨居くべし 飛翔篇』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光

 ・戦争を問う
 ・学びて問い、生きて答える
 ・和氏の璧
 ・荀子との出会い
 ・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
 ・孟嘗君の境地
 ・「蔽(おお)われた者」
 ・楚国の長城
 ・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
 ・徳には盛衰がない

『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光


 ――もっとも深いところまで行った者だけが、もっとも高いところまで行ける。

【『奇貨居くべし 飛翔篇』宮城谷昌光(中央公論新社、2000年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】

 これが本書の主題である。荀子曰く「深谿(しんけい)に臨まざれば地の厚きことを知らず」と。高峰(こうほう)を極めなければ天の高さはわからないし、深い谷に下りた者でなければ大地の厚さを知ることはない。

 君子曰はく、
「学は以て已むべからず。」と、
 青は、之を藍より取りて、藍より青く、
 氷は、水之を為して、水より寒し。
 木直くして縄に中るも、輮めて以て輪と為さば、
 其の曲なること規に中り、槁暴有りと雖も復た挺びざるは、
 輮むること之をして然らしむるなり。
 故に、木、縄を受かば則ち直く、金、礪に就かば則ち利く、
 君子博く学びて日に己を参省せば、
 則ち智明らかにして行ひに過ち無し。

 故に高山に登らざれば、天の高きを知らず、
 深谿に臨まざれば、地の厚きをしらず、
 先王の遺言を聞かざれば、学問の大なるを知らざるなり。
 干越夷貉の子、生まれたるときは而ち声を同じくするも、
 長ずれば而ち俗を異にするは、教へ之をして然らしむるなり。

青はこれを藍より取りて藍より青し 勧学篇第一より

 先ほど探り当てたページである。本書はこの部分を小説化したといっても過言ではない。そう思い至ってページを繰ってみると、荀子との出会いに始まり、様々な場面にこの教えが散りばめられている。

「知る」という行為の深さには行動が伴う。「人は天空を飛べない。そのことがほんとうにわかっているのは、この世で、わしくらいなものだ」(火雲篇)と荀子は語っている。つまり限界を知った上で自らの意志を働かせながら行動した者だけが「知る」ことができる。過去の経験から学ばぬ者は多い。「経た」ことは「知った」ことにならない。

「之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」と孔子は説いた。牽強付会(けんきょうふかい)ではあるが、「好む」は感情であり「楽しむ」は意志であると読みたい。すなわち真に「知る」者とは「楽しむ」者である。

 一流の登山家が生きとし生けるものを拒む高みを目指す。実際には苦しいだけの営みだ。だがそこに「楽しみ」がある。つまり苦しみを通らずして楽しみを味わうことはできない。

 人知れず苦労をし、暗闇の中を一人歩むことが人生には必ずある。その時、自分の魂を青々と染め上げている自覚を失ってはならない。

    

2014-11-10

高階秀爾、中丸薫、菅沼光弘、他


 1冊挫折、2冊読了。

追跡!平成日本タブー大全 II』(宝島社、2005年/宝島社文庫、2006年)/宝島ムックも堕ちたもんだ。『週刊実話』レベルの与太記事が勢揃い。本を読んでこれほどの失望感を抱くのは久々のこと。

 86冊目『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘(ヒカルランド、2010年)/中丸薫は現代のブラヴァツキー夫人と呼んでいいかもしれぬ。菅沼は公安調査庁の仕事で北朝鮮を追いかけてきただけあって迫力のある情報が多い。インテリジェンスという点において日本は北朝鮮の足元にも及ばない。

 87冊目『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾〈たかしな・しゅうじ〉(岩波現代文庫、2009年/旧版、岩波書店、1991年/新板、同時代ライブラリー、1996年)/必読書入り。思想とは表現であり、表現の中にしか思想がないことがよくわかった。特に冒頭の章で日本画の視点に関する指摘は鋭い文明論となっている。私がテーマにしている「見る」ことへの考察が深まった。東西の比較も宗教の一歩手前で立ち止まる上品さがある。思想や価値観は視点をも定めることがよくわかった。

日本共産党はコミンテルンの日本支部/『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年

 ・日本共産党はコミンテルンの日本支部
 ・ヒロシマとナガサキの報復を恐れるアメリカ

『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘:2012年
『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 日本共産党というのはいったい何かと言うと、これはもともと【コミンテルン】の日本支部としてつくられた団体です。
 そもそも日本共産党の綱領や規約とは、かつては全部モスクワでつくられたものであり、そのモスクワの政策を日本で実行する。もっと言うと、日本における共産革命をモスクワの指導と援助で行なうということです。だから、いろいろな形でモスクワから指令が来たのです。
 しかもスターリン時代は、ソ連を守ることが全世界の共産主義者の任務でしたから、共産党員は全員、ソ連のスパイということになります。

【『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎(扶桑社、2010年)以下同】

 日本の政治がいつまで経っても成熟しないのは、近代史を封印することで国家意識を眠らされているためだ。日本では国を愛することもままならない。これまたGHQの戦後処理が深く関わっていることだろう。

 コミンテルン(Communist International の略)は第三インターナショナルともいわれる。

 ソ連は共産主義を輸出し、世界中を共産主義国にしてしまおうと行動に出た。そのための組織として、コミンテルン(第三インターナショナル)が1919年(大正8年)に作られた。
 革命政権は樹立直後から、一国だけでは世界中から包囲されて生き延びることはできない、と重大な危機感を抱いていた。そこでコミンテルンを作り、世界各国で知識人や労働者を組織して共産主義の革命団体を世界中に作り出し、すべてをモスクワからの指令によって動かし、各国の内部を混乱させ共産革命を引き起こそうとした。

コミンテルン(第3インターナショナル)

 これはイギリスが植民地支配で行ってきた「分割統治」(『そうだったのか! 現代史 パート2』池上彰)と同じ手法である。革命政権首脳の殆どはユダヤ人だった。彼らは情報戦に長(た)けていた。




 いまから50年前の【安保闘争】の時代は、中国やソ連から、国内の共産主義勢力へいろいろな形で指令や資金援助などが来ていました。それを調べて摘発するのが我々の仕事だったのですが、その過程でいろいろ非合法的な調査活動も行ないました。
 当時のソ連や中国の、日本共産党に対する指導・援助といったら、それは大変なものがありました。西園寺公一という共産党の秘密党員だった人物がいたのですが、銀座にある西園寺事務所が中国共産党と日本共産党の秘密連絡拠点となっていた。そこに潜り込んで書類を盗写したこともあります。

 西園寺公一〈さいおんじ・きんかず〉は西園寺公望〈さいおんじ・きんもち〉の孫である。子の西園寺一晃〈さいおんじ・かずてる〉には『青春の北京 北京留学の十年』(中央公論社、1971年)という中国礼賛本がある。

 ソ連の情報・諜報活動が日本の貴族にまで及び、しかも籠絡(ろうらく)されていたという事実に驚愕(きょうがく)する。近衛文麿政権のブレーンであった尾崎秀実〈おざき・ほつみ〉(元朝日新聞記者/異母弟が尾崎秀樹)に至ってはソ連のスパイとして活動し、結局死刑になった(ゾルゲ事件)。

 スパイが身を隠す職業として真っ先に挙げられるのはジャーナリスト、新聞記者、作家である。何と言っても情報収集がしやすい身分である上、プロパガンダ工作も行える。大東亜戦争の際、アメリカで捕虜になった日本人の多くは、アメリカの工作員として日本の新聞社に送られているという話もある。

 学生運動の火が消えた後も左翼勢力は学術・教育に巣食ったまま、日本の国益を毀損(きそん)し続けている。そしてもう一つ複雑な要素がある。実は戦後になって日教組をつくったのはGHQであった。アメリカ側からすれば日本国内で左翼を野放しにしておくことが分割統治となるのだ。

 その意味では旧ソ連の狙いもアメリカの思惑も上手く機能していた。東日本大震災までは。2011年3月11日に日本を襲った悲劇は再び日本を一つにした。同時に天皇陛下の姿も鮮やかに浮かび上がった。アメリカは焦った。で、慌ててTPPを進めているというわけ。

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小林秀雄の戦争肯定/『国民の歴史』西尾幹二

2014-11-09

大型ハドロン衝突型加速器(LHC)とスモール・ビッグバン














素粒子衝突実験で出現するビッグバン/『物質のすべては光 現代物理学が明かす、力と質量の起源』フランク・ウィルチェック
加速器の世界 |サイエンス チャンネル

楚国の長城/『奇貨居くべし 黄河篇』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光

 ・戦争を問う
 ・学びて問い、生きて答える
 ・和氏の璧
 ・荀子との出会い
 ・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
 ・孟嘗君の境地
 ・「蔽(おお)われた者」
 ・楚国の長城
 ・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
 ・徳には盛衰がない

『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光


「呂氏、長城が気にいったか」
 勘ちがいをした向夷〈きょうい〉が、ぼんやりとたたずんでいる呂不韋の肩をたたいた。
「ああ、あきれるほど気にいったよ」
 そういういいかたしかできないほど長城は無益なものにみえた。為政者の見識の低さを如実にあらわしているのがこれであるといえる。おおげさにいえば、人類の成長をとめ、可能性をさまたげるのが長城である。とくに庶民は、いちどは長城を有益なものと信じたがゆえに、その存在が無益なものであることがわかった時点から、為政者にたいして不信をつのらせ、人の営為そのものにむかう意味を阻喪(そそう)したであろう。楚(そ)の崩壊も、秦(しん)の圧力に耐えきれなくなったというより、内なる崩れが原因なのではあるまいか。

【『奇貨居くべし 黄河篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1999年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】

 以下2003年のニュースである。

「中国最古の長城は河南省の楚長城」専門家が指摘

  楚長城学術シンポジウムがこのほど、河南省魯山県で開かれた。参加した専門家と学者の見解は「紀元前688年に建設された楚国の長城が、中国最古の長城である」という意見で一致した。
河南省に現存する楚長城は、上部が丸まった形状をしており、西線、北線、東線の3つの部分に分かれている。平頂山市の魯山県と葉県、舞鋼市、南陽市の方城県と南召県にまたがり、全長にはおよそ800キロ。特に南召県板山坪鎮南部の周家寨楚長城は、全長20キロ以上が、ほぼ完全な形で残っている。

「人民網日本語版」2002年10月30日

 楚の国名は「四面楚歌」との言葉で現在にまで伝わる。

 作家のW・G・ゼーバルトは「途方もなく巨大な建築物は崩壊の影をすでにして地に投げかけ、廃墟としての後のありさまをもともと構想のうちに宿している」(『アウステルリッツ』)と指摘する。権勢を誇るための巨大な建物は「長城」と考えてよかろう。カトリック教会の麗々しさはその典型だ。

 それを嗤(わら)うのは簡単だ。だが、その一方で豪邸や高級車を羨む自分がいる。現代における欲望は金銭への執着という形で具体化される。欲望から離れるための修行に「喜捨」(きしゃ)がある。これが六波羅蜜布施行(ふせぎょう)となる。葬儀や法要で僧侶に渡すお布施の布施だ。

 自分で稼いだお金を惜しみなく捨てる。捨てるのが嫌なら使うでも構わない。何かを買う、ご馳走を食べる、映画やコンサートへゆく、書籍を購入する。もう少し頑張って慈善団体に寄付をする。あるいは困窮している友人に返ってこなくても困らない範囲でカネを貸してやる。何かをプレゼントするのもいいだろう。

 この国のシステムはきちんと税金が循環しないところに経済的な致命傷を抱えている。それを打開するには一人ひとりがお金を使うしかないのだ。皆がカネを使えば景気はあっと言う間に浮上する。

 中国戦国時代の大商人は社会や人々に投資をした。それによって社会を改革した。少ない額でも他人に投資してみると、驚くほど人生は豊かになる。