2016-01-04

内田義雄


 1冊読了。

 2冊目『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』内田義雄(講談社+α文庫、2015年/講談社、2013年『鉞子(えつこ) 世界を魅了した「武士の娘」の生涯』改題)/良書。『武士の娘』より本書を先に読んだ方がよい。杉本(旧姓稲垣)鉞子は夫に先立たれ、アメリカの地で糊口をしのぐためにエッセイを投稿し続けた。彼女が作家として本格的なスタートを切ったのが『武士の娘』(1925年/大正14年)である。アメリカにおける日本人初のベストセラー作品となる。日本で鉞子(えつこ)は長らく無名のままの存在であった。司馬遼太郎ですら知らなかったという。アメリカ人と鉞子の友情は戦後も続き、子や孫にまで受け継がれる。唯一の瑕疵は大東亜戦争に対する安易な内田の記述で、1939年生まれ、元NHKのテレビマンであったことを併せ考えると、心情左翼と判断せざるを得ない。

2016-01-03

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アウトサイダー/『香乱記』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 ・占いは未来への展望
 ・アウトサイダー
 ・シナの文化は滅んだ
 ・老子の思想には民主政の萌芽が
 ・君命をも受けざる所有り

・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光


 秦によって天下が統一されるまえは、地方の郷里には自治権があった。それが支配される者のゆとりであり、精神の自律というものであった。ところが、始皇帝の時代になると、全土の民が始皇帝に直属するようになったといってよく、皇帝と庶民のあいだにいる官吏は、人ではなく法律の化身である。この窒息しそうな現状を嫌う者は、自立したくなるのであるが、移住することや職業を変えることはたやすくゆるされず、けっきょくそういう制度と対立する者たちは、法外の徒となり、盗賊になってしまうということである。それゆえ、この時代に盗賊になっている者は、卑陋(ひろう)とはいえない、いわば革命思想をもった者もいたのである。

【『香乱記』宮城谷昌光(毎日新聞社、2004年/新潮文庫、2006年】

 アウトロー(無法者)とアウトサイダーの違いか。日本だと悪党傾奇者(かぶきもの)・浮浪人旗本奴(はたもとやっこ)・町奴(まちやっこ)というやくざ者の流れがあるが、徳川太平の世にあって権力の統制下に置かれていたような気がする。侠客と呼んだのも今は昔、任侠は東映のやくざ映画で完全に滅んだといってよい。既に亡(な)いから映画を見て懐かしむのである。

 法治国家には官僚をはびこらせるメカニズムが埋め込まれているのだろう。士業がそれに準じる。国家試験も法律から生まれる。そして法の仕組みを知る者がインナー・サークルを構成するのだ。貧富の差が激化する現状は派遣社員やパート労働者をアウトサイドすれすれにまで追い込んでいる。

 現代においては移住することも転職することも自由だ。もしもあなたが「窒息しそうな現状を嫌う者」であるならば、速やかにこの二つに着手することが正しい。「逃げる」のではなくして「離れる」のだ。簡単ではないかもしれぬが、自分の力で足が抜けるうちに行動を起こすべきだ。

 いじめを回避するために転校する小学生は珍しくない。大人だって一緒だ。何らかの重圧を回避せずして人生を輝かすことは難しいだろう。

 グローバリゼーションによって多国籍企業が平均的な国家を凌駕する力と富を手に入れた結果、革命はテロに格下げされた。実力行使の覚悟を欠いたデモはお祭り騒ぎに過ぎない。個別テーマへの反対はあっても「世直し」というムードが高まることはない。国内の治安が維持されればフラストレーションは外国に向かって吐き出される。反中・反韓感情の高まりはやがて国家的衝突という事態を招くことだろう。

   

2016-01-02

占いは未来への展望/『香乱記』宮城谷昌光


『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
『管仲』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『青雲はるかに』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光

 ・占いは未来への展望
 ・アウトサイダー
 ・シナの文化は滅んだ
 ・老子の思想には民主政の萌芽が
 ・君命をも受けざる所有り

・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光


 田儋(でんたん)はまともに許(きょ)氏を視(み)ずに、
「占いは好かぬ。昔、人相を観る者に、あなたは臨済(りんせい)の近くで殺される、臨済には近づかぬことだ、といわれた。いまだに気持ちがよくない。占う者は、人の不幸を予言せぬのが礼儀というものだろう。ちがうか」
 と、強い声でいった。
「それは臨済に近づかねば、殺されることはない、と災難が避けうるものであることをいったのであり、占った者の好意と解すべきだ」

【『香乱記』宮城谷昌光(毎日新聞社、2004年/新潮文庫、2006年】

 始皇帝(紀元前259-紀元前210年)の時代である。従兄の田儋(でんたん)、兄の田栄、そして主役の田横は田氏三兄弟と呼ばれた。彼らは斉王の末裔(まつえい)であったが既に没落していた。祖父の代から平民同然の暮らしぶりであった。

 3人は賊に襲われていた馬車を助ける。従者を連れた男は「許」と名乗った。彼は占いをたしなんだ。

 占いは未来への展望である。「未(いま)だ来たらざる」時間を、「将(まさ)に来たる」時間に引き込む営みなのだ。そして占いは「使うもの」であって「縛られるもの」ではない。許氏はそう語ったのだろう。

 最古の漢字である甲骨文字は占いの記録である。「呪的儀礼を文字として形象化したものが漢字である」(白川静)。文字には呪能があり、言葉には言霊(ことだま)が存在する。文字と言葉は「もの・こと」を縛ることで象徴化する。その「封印する力」に呪能が具(そな)わるのだ。甲骨文字は3000年の時を超えて王の歴史を伝える。

占いこそ物語の原型/『重耳』宮城谷昌光

 物語とは偶然を必然化する営みであろう。脳は時間的な流れを因果として捉える。起承転結の転は偶然性であり、結は必然性となる。生と死を自覚する我々は避けられない死に向かって人生を飾ろうと足掻(あが)くのかもしれぬ。

 占いが「使うもの」であるならば、宗教もまた「使うもの」として考えられそうだ。実際は「教団に使われている」人々が多いわけだが。もちろん科学も「使うもの」だ。明日の天気予報が雨であれば、出掛けるのを控えるか、雨具の準備をすればよい。「なぜ雨なのだ?」と悩むのは愚かだ。

 物語は常に上書き更新が可能なのだ。それを行うのは他人ではなく自分自身だ。「3人は王となる」と許は占った。彼らは自らの力でそれを実現した。

   

片岡鉄哉


 1冊読了。

 1冊目『日本永久占領 日米関係、隠された真実』片岡鉄哉(講談社+α文庫、1999年/講談社、1992年『さらば吉田茂 虚構なき戦後政治史』の改訂増補版)/読む順番としては、『國破れて マッカーサー』西鋭夫→『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八→『日本の秘密』副島隆彦→本書、がいいだろう。本書を副島本で知った。戦後の日本を取り巻く安全保障はマッカーサー-吉田-ダレスによって歪められ、今尚、議論すらできぬ情況に陥っている。この3人は怨霊と化して日本に取り憑く。また鳩山一郎政権についても誤解が解けた。片岡は西と同じくスタンフォード大学フーバー研究所に席を置く人物。二人がマッカーサーに関する労作を刊行するのも何らかの情報戦略なのかもしれない。昨今の安保法改正と1958年の警職法を巡る騒動が酷似していて興味深い。やはり歴史は繰り返すのだろう。日本の政府が情報を公開していない以上、この国で民主制が機能することはあり得ない。国家のあり方や国の構えをどうするかが問われている時に、平和を持ち出す愚か者どもはもはや「平和病」といってよい。ウイグル・チベット・パレスチナをよく見よ。武器を持たぬ民族は滅ぼされる運命にある。