2015-10-04

「知る」ことは「離れる」こと/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 今まで気づかなかった自分を知ることこそが真の「自己受容」になり、それによって古い認知や生き方の中で悩んでいた自分が解放され、治療されるのだ。
 では、心にとって「知る」とはどういうことかといえば、それは、「離れる」ことである。
 子どもが生まれ育った自分の家(住宅)を知るのは、歩けるようになって外から家を見た時である。家から離れて初めて自分の家が友だちの家と違うと分かり、自分の家を知る。何かを「知る」ことは、それから「離れる」ことである。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 離れなければ見えない、との指摘に眼から鱗が落ちる。37歳の男性の体験談が紹介されている。彼は高橋の指摘で初めて自分が虐待されてきたことを理解した。そして母親に知的障害があることを知った。その日の夜は眠れなかった。妻には「とてもショックなことがあった。でも、それは悪いことじゃないから心配はいらない、もう少し一人にさせておいてくれ」と告げた。男性はベッドで横になったまま次の日も眠れなかった。妻が救急車を呼ぼうとすると「大丈夫だ。心は死んだけど、体は生きているから」と応じた。そのまま4日間もの間、一睡もしなかった。

 ある種の悟り体験といってよい。虐待と知的障害とのキーワードが彼の人生の不可解だった部分を理由のある物語に変えたのだろう。それまでの人生の構成が劇的に転換された。物語には一本の筋が通ったものの、それは悲劇であった。

 幼い日に身につけた自己防衛の術(すべ)が大人になっても尚、認知を歪める。避けることなどでき得なかった矛盾であろう。

「母とのつながり」、愛着関係を信じようとしてきたファンタジーが崩壊した。ないものを「ある」と思って生きてきた。でも、「ない」と分かったら、同時に義務感が消え、自分を責めなくなった。彼を縛ってきた規範がその力を失ったのだ。
 しかし、その代わりに頼るべきもの、人生の指針となるものもなくなった。人生を理解できなくなり、「ただ見ている」という視点だけが残った。宙に浮いた心はただ現実を見ていた。愛着や自己愛や信頼の中から自分と人とのつながりをみ(ママ)るのではなく、そこに戻れない彼は、いつの間にか心理カプセルからも辺縁の世界からも離れて人生を見ていた。

 心は宙に浮いたままであったが、もう一人の自分が実況中継をするようになっていた。つまり彼は誰から教わることなくヴィパッサナー瞑想(『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司、宝島社、2004年)を実践していた。クリシュナムルティが説く「見る」とも合致している。

 瞑想とは
 あるがままに ものを見ることであり
 それを超えていくことです

【『瞑想』J・クリシュナムルティ:中川吉晴訳(UNIO、1995年)】

 ところが、どんなにわずかでも、自分を知りはじめたとたんに、創造性のとてつもない過程がすでに始まっているのです。それは、実際のありのままの自分がふいに見えるという発見です――欲張りで、喧嘩好きで、怒って、妬んで、愚かなものなのです。事実を改めようとせずに見る、ありのままの自分をただ見るだけでも、驚くような啓示です。そこから深く深く、無限に行けるのです。なぜなら、自覚に終わりはないからです。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

 知識や概念、はたまた哲学・宗教を通せば、ありのままの自分は見えない。【あるべき】自分は本当の自分ではない。社会は様々な役割を押し付けるが十分な演技力がないと抑圧される。役が身分を決めるのだ(安冨歩/『日本文化の歴史』尾藤正英、岩波新書、2000年)。

 彼は突然手に入れた自由に戸惑い、そして怯えた。だがその後、全く新たな存在となる。彼は過去から離れ、欲望から離れることで変容したのだ。

2015-10-01

小室直樹、高橋和巳、中川雅之、加藤祐三、小山鉄郎、小林よしのり、田原総一朗、他


 2冊挫折、7冊読了。

科学の考え方・学び方』池内了〈いけうち・さとる〉(岩波ジュニア新書、1996年)/講談社科学出版賞受賞。文章に切れがない。

日本の独立』植草一秀(飛鳥新社、2010年)/「悪徳ペンタゴン」という言葉がよくない。視点が明らかに偏っている。行間にルサンチマンが漂う。

 115冊目『戦争論争戦』小林よしのり、田原総一朗(ぶんか社、1999年/幻冬舎文庫、2001年)/今読むとやはり小林に軍配が上がる。田原総一朗はジャーナリストというよりも、ただのテレビマンであり、本質は言論プロレスラーにすぎないことがよく理解できる。この世代でこれほど礼儀を欠く人間も珍しいし、極めて罪悪感に乏しいタイプの人物である。単なる戦争嫌いが近代史の俯瞰を困難にしている。主要番組がテレビ朝日であるのも腑に落ちる。

 116冊目『日本を貶めた10人の売国政治家』小林よしのり編(幻冬舎新書、2009年)/保守系論客による座談会。アンケートは一見の価値あり。国益を損なう首相の多さに目を覆いたくなる。

 117冊目『白川静さんに学ぶ漢字は楽しい』白川静監修、小山鉄郎〈こやま・てつろう〉編(共同通信社、2006年/新潮文庫、2009年)/意外にも硬派な内容で、ページ上部の古代文字と図が参考になる。連載記事らしいが毎回白川に取材したとのこと。部首ごとにまとめられていて漢字の関係性がよくわかる。

 118冊目『幕末外交と開国』加藤祐三(講談社学術文庫、2012年)/某テレビ番組は本書を題材にしていることがわかる。ペリーと林大学頭〈はやしだいがくのかみ〉とのやり取りは実にスリリングで当時のインテリジェンス能力の高さを示す。幕末の首脳は現代の政治家よりもはるかに外交能力に長(た)けていた。文章もよく、内容も濃く類書を圧倒している。「日本の近代史を学ぶ」に加えた。

 119冊目『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之(日経BP社、2015年)/新刊。これは良書。中川は日経新聞社からの出向組のようだが、かような良心をもつ人物がいることに驚く。文章に切れがあり、インタビューする人物も選り抜きといってよい。日経BP社では企画の段階から反対されたという。読者層を考慮すればそれも当然だろう。しかし中川はたった一人で優れた新聞連載を上回る仕事を成し遂げた。ジャーナリストの魂をもつ若い記者がいる事実に快哉を上げたい。

 120冊目『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)/摂食障害は母子関係に原因があるという。初めて知った。確かイーサン・ウォッターズ著『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』では、ほぼ世界同時進行で広まったと書いてあったように記憶する。最終章の悟り体験が忘れられず。必読書入り。

 121冊目『日本人のための憲法原論』小室直樹(集英社インターナショナル、2006年/同社、2001年『痛快!憲法学 Amazing study of constitutions & democracy』改題)/編集の勝利。小室特有の文体的臭みをほぼ完璧に脱臭(笑)。講義形式にすることで驚くほど読みやすくなっている。しかも憲法論にとどまらず宗教学・歴史・社会学・経済学をも網羅。結果的には8割方のページに付箋をつける羽目となった。本年度暫定2位。これまた必読書入り。

2015-09-30

「虐待の要因」に疑問あり/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 母子の愛着関係が成立していれば、虐待は起きない。
 なぜかというと、母親は子どもの痛み、苦しみ、辛さを我がことのように感じてしまうからだ。
 子どもが怪我をして泣いていれば、母親は子ども以上にその痛みを感じてしまうので、わが子に暴力を振るい続けることはできないし(身体的虐待は起こりえない)、子どもが寒がっていれば母親はその寒さを感じてしまうから、自分の服を脱いででも子どもを守る(ネグレクトが起こりえない)。子どもがひどく落ち込んでいれば母親は自分の責任のようにそれを感じるから、「どうしたの」と声をかける(心理的虐待が起こりえない)。まして、女の子の尊厳を潰してしまう性的虐待が起こりそうであれば、母親は命をかけてでも娘を守る(性的虐待が起こりえない)。
 だから、愛着関係が成立しているごく「普通の」家庭では、児童虐待は起こりえないのだ。そして、愛着関係はごくあたりまえの母子関係なので、誰もそれが「ない」ことを想像できない。
 これが、多くの人が虐待を理解できない最大の理由である。
 しかし、愛着関係が成立していない家庭があるのだ。
 愛着関係が成立しない要因はいくつかあるが、その中でもっとも多いのは、虐待をする母親・父親に何らかの精神的な障害がある場合である。具体的には、
  1.知的障害
  2.知的障害以外の発達障害のあるタイプ
  3.重度の精神障害
 などである。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)】

 実に危うい記述である。愛着理論というモデルの前提が判断基準になっており、データが一つも示されていない(愛着障害については「ハーローによるアカゲザルの愛着実験」などの異論もある)。たとえ臨床から導かれた結論であったとしても一人の医師が扱う臨床例は数が制限される。高橋は多少それを自覚しているのだろう。「虐待の要因」とせずに「愛着関係が成立しない要因」と書いている。また精神障害と知的障害は異なる。文章の揺れが目立つ。

 この言い分を真に受ければ、虐待を根絶するためには「三者の出産制限」となりかねない。共感能力の欠如と知的障害・精神障害に相関性があるという事実を示さなければ正当とは言い難い。善悪の規範が曖昧という観点から私はむしろサイコパシー(精神病質)度をチェックする方が有効であるように思う。

 例えばアメリカでは「家庭内で一人の子供が虐待される場合、それは父親と似てない子供である確率が高い」というデータがある(『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ、2000年)。中世に至るまでの戦争や紛争で負けた方は男と子供は全員殺され、女は獲得物とされた。要は「敵の遺伝子は滅ぼす」ということなのだろう。「父親と似てない」ことは「他人の子」であるサインと受け止められることは確かにあり得る。

 高橋は被虐者独特の言葉遣い(「死にたい」ではなく「消えたい」など)から彼らの感覚世界が常人とは懸け離れていることに思い至る。そんな彼らを「異邦人」と呼ぶ。この呼称についても私は終始違和感を覚えてならなかった。異なる世界を生きてきたから外国人や宇宙人のように見つめることは差別につながりかねない。異なる世界を生きてきたのは彼らが望んだことではないのだ。彼らはサバイバーであり、鞭打たれた者である。だからといって特に別称で呼ぶ必要はないだろう。

 M・スコット・ペック著『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』が1996年に刊行され、マリー=フランス・イルゴイエンヌ著『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』が1999年、そしてマーサ・スタウト著『良心をもたない人たち 25人に1人という恐怖』が出たのが2006年であった。アメリカでは25人に1人がソシオパスと推測された。

 日本社会でもパワハラ、セクハラ、モンスターペアレントなどの言葉が台頭した。サイコパス、境界性人格障害、ソシオパス、アスペルガー障害、発達障害などが広く認知された。個人的にはテレビの影響が大きいと考える。テレビが先鞭(せんべん)をつけ、病める心理を拡大再生産しているように思えてならない。テレビが社会の規範となることでモラルを崩壊する。公器で許されることは家庭でも学校でも社会でも許されてしまう。その意味では、現代のいじめもテレビが発明したものかもしれない。



精神科医がたじろぐ「心の闇」/『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』M・スコット・ペック

2015-09-28

愛着障害と愛情への反発/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 人は、生まれつき愛情を受け取るようにできている。だから、生まれてすぐに赤ちゃんは愛情に反応する。母子関係の最初、この世の存在の出発点だ。しかし、求めていた愛情が受け取れないばかりか、それをあからさまに否定されると、子どもは愛情を受け取ろうとする心にブレーキをかけ、ついにはロックして使えないようにする。期待して裏切られるよりは最初から受け取らないと決めるほうが、苦しみは小さく、生きやすいからだ。
 被虐者に限らず、人の愛情や親切、感謝を、遠慮したり、躊躇したり、時には拒否してしまう心理は誰にでもある。
 しかし、被虐者の場合は、それが人一倍強く、人生全体を支配している。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 これを愛着障害という。生きるために心を閉ざすのだ。そして三つ子の魂は百まで引き継がれる。幼児期に閉ざした心が開くことは稀だ。なぜなら「閉ざした」自覚がないゆえに。

 39歳の一人暮らしの男性、青井椋二さんが語ってくれた。
 彼は虐待を受けて育った。小さい頃、十分な食事をもらえなかった。もの心ついた頃には、彼は台所の米びつから生の米を食べていた。
「近くに住む叔父の家が農家だったので、家にお米はあったのだと思う。小学校5年生の時、近所のおばさんからお米の炊き方を教えてもらった。自分で炊いて初めて温かいご飯を食べた。すごく柔らかくて甘かった。
 小学校に入る前だったと思うが、台所の引き出しの奥に、破けた即席ラーメンの袋を見つけた。その中には麺のかけらが残っていた。ほんの少ししかなかったけど、とてもうれしかった。まるごとの即席ラーメンを食べられることはなかった。だから、18歳で家を出て、自分で働くようになっても、きちんと袋に入った即席ラーメンは、長い間、僕のご馳走だった。
 20歳の頃、恐る恐る、思い切って、母親に言ってみた。
『小さい頃、食事をもらえなかった』と。
 あの人が何と返事をするかと思ったら、『あんたは食が細かったからね』と、あっさり返された。まったく覚えていないようだった」

 コミュニティは崩壊し、セーフティネットの機能を失った。生米を食べて生きる少年に誰一人気づかなかったとすれば、そこに社会は存在しない。虐待する親というたった一本の線にすがって生きることが唯一の選択肢である。

 少し前に映画『アクト・オブ・キリング』を見た。インドネシアで100万人の大虐殺を行ってきた「英雄」たちが再現映画を制作する。彼らは笑いながら思い出を語る。殺人の効率化を同じ現場で実演し、昂奮に酔って歌い踊る。そして映画のカットを自慢気に孫たちに見せる。終盤に至ってわずかばかりの罪悪感が頭をもたげるが、多分彼らの生き方が変わることはないだろう。

 次回紹介する予定だが高橋は虐待の原因として、親の知的障害・精神障害・発達障害などを挙げている。彼らは共感能力を欠くゆえに子供と愛着関係を結ぶことができないのだろう。

チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

 カウンセリングを受ける中で小学5年生の頃の記憶がありありと蘇る。近所に住む優しいお姉さんがクッキーをくれた。透明の袋は赤いリボンで結ばれていた。そんなきれいなものを見るのは初めてのことだった。お姉さんは「遠慮しなくていいのよ」と声をかけた。彼はお姉さんの手からクッキーを奪うと、地面に叩きつけた。そして「こんなものいらない! いらない! いらない! いらない!」と叫びながらクッキーを足で踏みつけた。

 高橋はこれを「被虐待児の『試し行動』」と解説する。私はそうは思わない。試し行動は一種のテストクロージングであろう。少年の行動は鹿野武一〈かの・ぶいち〉やナット・ターナーと同じものである。

ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン

「その優しさ」を受け入れてしまえば自己の拠(よ)って立つ世界が崩壊するのだ。少年は本能的にクッキーを拒むことで、優しいお姉さんと親の比較を回避したのだろう。穴の深さを知ってしまえば這い上がる気力もなくなる。それほどの深みに彼は位置していたのだ。

 ある地域の保育士によれば、感覚的には1/3から半分くらいの児童に発達障害傾向が見られるという(『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之、2015年)。とすると少子化とはいえ子虐待の比率は高まる可能性も考えられよう。私の頭では幼稚園や小学校で定期的に聞き取り調査を行うといった程度の策しか思い浮かばない。



「ママ遅いよ」
【衝撃事件の核心】見逃されたSOS…両親からの虐待で死亡した7歳男児の阿鼻叫喚
「死んじゃう」空腹耐えかね男児万引き 父らに傷害容疑