2015-06-26

佐藤和男、プリーモ・レーヴィ、稲垣武、養老孟司、甲野善紀、高岡光、他


 3冊挫折、5冊読了。

カルニヴィア 1 禁忌』ジョナサン・ホルト:奥村章子訳(ハヤカワ・ポケット・ミステリ、2013年)/訳が悪い。「長年、同じ人物から仕事の依頼を受けていたが、怯えた声で電話をかけてきたのは、これまで一度もなかった」(14ページ)。「受けてきた」「かけてきたことは」とするべきだろう。他にも文章の混乱が見られる。450ページほどあるがちょうど真ん中でやめる。主役を務める二人の女性が簡単に男と寝るタイプで、要はミステリっぽいエンタテイメント小説なのだろう。ま、シドニイ・シェルダンの世界と理解してよい。3部作ということもあって期待したのだが完全な肩透かしを食らった。

地ひらく 石原莞爾と昭和の夢(上)』福田和也(文藝春秋、2001年/文春文庫、2004年)/自分の文章に酔っている雰囲気が漂う。その文学性に耐えられず。

ヤノマミ』国分拓〈こくぶん・ひろむ〉(NHK出版、2010年/新潮文庫、2013年)/ブラジルの先住民族ヤノマミのテレビ取材ルポ。インターネット日記のような代物で読むに値せず。番組は見てみたい。NHKアーカイブにあれば有料でも見る予定だ。

 69冊目『クリシュナムルティ・水晶の革命家』高岡光〈たかおか・ひかる〉(創栄出版、1998年)/少し前までベラボウな値段が付いていたがかなり下がってきたので入手した。大失敗であった。これほど外したのも珍しい。ちょっと記憶にない(笑)。発売元は星雲社。

 70冊目『古武術の発見 日本人にとって「身体」とは何か』養老孟司〈ようろう・たけし〉、甲野善紀〈こうの・よしのり〉(カッパ・サイエンス、1993年/知恵の森文庫、2003年)/養老孟司はスマナサーラとの対談で甲野のことを「友人」と呼んでいる。これは面白かった。何といっても甲野善紀の博識ぶりに驚いた。実によく勉強している。養老のヨガ解説が目を惹く。

 71冊目『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』稲垣武(文藝春秋、1994年/新装版、2015年)/上下二段で360ページ。活字はかなり小さく、正直に白状すると『国民の歴史』よりも手強かった。稲垣武は元朝日新聞記者である。進歩的文化人に対し容赦のない鉄槌が下される。しかも一々反証してみせるという徹底ぶりが凄い。ベトナム戦争における米兵の暴虐についてはやや甘い見方をしているが、それ以外は資料としても読み物としても実に優れている。岩波書店が雑誌『世界』という舞台を進歩的文化人に与えることで、日本の伝統や文化を破壊してきた様相を抉(えぐ)る。

 72冊目『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(朝日新聞社、1998年/岩波文庫、2010年)/プリーモ・レーヴィ2冊目の著作で、『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』の続篇にあたる。終戦からイタリアへ生還するまでの日々が生き生きとユーモラスに綴られている。透明で硬質な文体が胸をつかんで離さない。個性的でユニークな群像が次々と登場する。レーヴィは650人のイタリア系ユダヤ人と共にアウシュヴィッツへ送られたが、生き残ったのはわずか3人であった。途中で一つの疑問が浮かんだ。かくも詳細にわたって記憶していられるものだろうか、と。最初の著作から16年後に刊行されているのだ。ということで、やはり全てを真実と思い込むのは危険であるように感ずる。ただし人生に小さな創作はつきものだ。それを声高に批判するつもりはない。

 73冊目『世界がさばく東京裁判 85人の外国人識者が語る連合国批判』佐藤和男監修、江崎道朗構成、日本会議企画(明成社、2005年)/表紙には佐藤の名前しかない。構成と企画は奥付によるが、本来であれば著者名は「終戦五十周年国民委員会」とすべきではなかったか。日本会議は「日本最大の右派集団」と目されているが、本書に生臭い政治的メッセージはない。むしろ歴史に対して誠実であろうと努めているように見える。元々はパンフレットで発行する予定であったものを書籍にしたとあって、やや構成の粗(あら)さが見受けられるが、国際法という視点から東京裁判を一刀両断する。佐藤和男は刊行当時、青山学院大学の教授。法学部に通う大学生は東京裁判を学問的に検証し、日本人の目を覚まさせる潮流をつくるべきだ。

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